「自己の完成を求めて生きることも大事だが、
あまりにも自己にとらわれると、それが執着になって苦しむ事になる。」
このようにおっしゃられるのは花園大学の元学長の故山田無文老子だ。
ではどう命を燃やすか知りたくなるのが凡夫の私たちだ。
「自分とは何か」
即座に答えれる人がいれば聞きたい。
ヒントになるのは宮沢賢治の言葉だ。
「世界が全体幸せにならないうちは、自分の幸せはありえない」
こんな心境にどうすればなるのか問いたい。
無文老子は、
「君は今日から自分のことを勘定に入れないで、
何か一生懸命人のために尽くして御覧なさい。
とにかく一生懸命人のために尽くして、
そして心から良かったと思える自分がいたら、
それが本当の自分ですよ」
大乗仏教の精神は此岸から彼岸に渡す渡し舟の船頭役を菩薩行という。
自分の悩みや苦しみから解放されるには自分以外のために命を燃やす事と教える。
「大学」の中に「明徳を明らかにし、至善にとどまる」のは大人である事を教えてる。
元来人間は動物であるから、保守的で利己的にできている。
その利己心を利他心に置き換え、自分の心身の主人になるには努力がいる。
動物であった時間のほうが長いからだ。
50万年前に原人となり10万年前が現在の人間である。
動物の血には、ねたみ、やっかみ、怒り、暴力、憎しみといった、
自分を守るべく自分を正当化し、他をを攻撃する理屈である。
三国志の劉備が息子に教えたのは、
「悪、小なるを以ってこれを為すなかれ、善、小なるを以って為さざるなかれ」
人の上に立つ人物はすべからく「善」をなし自らを御す事をなすと諭す。
大乗仏教では菩提心にのっとり生きることだ。
きれいごとでなく、生まれた時より少しでも心を浄化し菩提心に近づく事だ。
皆さんは菩提心はきれいごとと思いますか?