親鸞聖人は六角堂で100日こもり、法然上人に導かれついていくと決断下す。
その時の信念はたとえ地獄に落ちてもいいというものだった。
法然上人と心中してもいいという不退転の覚悟だ。
後ろを振り向かないというのであるが、
体調が悪かったり、煩悩心がでてきて迷うことは無かっただろうかと凡人の私は思う。
さて、30年近く薬師寺に通って、唯識を学んだり故高田好胤管主や安田瑛胤長老の法話を聞いてきた。
薬師寺には玄奘三蔵院があり、そこの額に「不東」という文字が書かれている。
三蔵法師(629から664年)は8歳のときに父親から「孝教」を学び、
逸話に「曽子避席」と言って、曽子が坐っていないのにと直立して講義を聞いたという言い伝えがある人物だ。
インドに向かったのは唐の時代になって許可を得て、629年に出発し645年に帰還したのである。
657部のお経と仏像をもちかえったのである。
これは「大唐西域記」小説では「西遊記」の孫悟空の話しにでてくる主人公だ。
このときの覚悟が「不東」、インドは西、だから東は唐(中国)だ。
東には帰らないと言う覚悟が「不東」である。
さて、何がきっかけで決断したかについては解らないが、
仏教の奥義を求める思いが誰よりも強かったことは確かだ。
そのためなら死んでもいいという覚悟があったのである。
使命感について芳村思風さんは、
「なぜ生まれてきたのか」でなく「与えられたこの命をどう使うか」と自分にといかける。
使命とは理性で掴む事のできない理屈を超えたもの。
命のそこから湧いてくるもの。
「このためなら死ねる」という人とか仕事の出会いが命を燃えさせる。
理性で考えた夢は命に真の喜びを与えないというのである。
燃えてこそ人生
感じてこそ人生だ。
考えてみれば結婚も仕事も理性的な判断はしなかった。
特に今の仕事に着くときは、石材振興という夢の話しに共感したのだ。
恩師小田切瑞穂先生の進めもあったのと、
自分が何かで生計を建てる必要があり、
やりがいを持つ仕事をしたいと悩んでいたときだ。
夢だけあって現実はお金も、技術も設備もない裸一貫の独立となる。
国民金融公庫で150万創業資金をかり、借金からのスタートである。
会社は血縁でなくすべて他人でやろうと決め、
仲間でルールをつくりカンパニーリミテッドを実現しようと考えた。
困難にぶつかると後ろを振り返り諦めようと心の中の保守的な利己心が叫ぶのである。
何度の自問自答し自分に言い聞かせたのは、
「私の私欲で会社を創るのではない、世のため人のために石材を振興する」
動機が善である。
理性でなく、ひ弱な理想という精神の柱しかなかった。
両親や友人たちは失敗するからやめておけと忠告してくれた。
会社を創ってから41期目になる。その前に2年ほど法人組織でなく仕事をした。
この出会いは「騙されてもいい、死んでもいい」と思ってやり始めたことは確かだ。
途中で何度もぐらついて逃げようとしたのも事実だ。
今は楽しくて仕方がない。
「仕事は万病に効くくすり」と京セラの稲盛和夫さんは言うが本当だ。
仕事をするというだけで精神がピーンと張って清清しくなる。
勿論、現実はそう簡単に平らな道ばかりではない。
追い風もあれば逆風もある。
そう簡単に順風満帆とは行かないから必死で智慧を搾り出し行動する。
「人事を尽くして天命を待つ」
皆さんは騙されても、死んでもいい人や仕事に出会ってますか?