手を合わせる

投稿日:2017年3月25日 更新日:

合掌する姿が手を合わせることだ。
薬師寺の大谷徹奘(てつじょう)さんは右の手が寄りかかりすぎても合掌はできず、
左に寄りかかりすぎても合掌にならないという説法を聞いた。

肩を張らず、人に押し付けるようにもせず互いがもたれ合わないで軽く両手を合わせる。
これが合掌の調和の取れた姿だと実際にやって見せられた。

社会の中で生きる人と人は対等で平等が基本にあって、
社会通念上は人間関係が上手く行くにため、
先輩を立て、親に感謝し、兄弟は仲良く兄は兄らしく、夫婦仲良く、
強きをくじき弱きを助ける行動は道理であ。
自分を束縛する抑圧と捕らえるのでなく、
大人の心を養うと心得、多様な人間関係の中で磨がき上げるものである。
もともと動物の人間は社会的人格を自ら磨き行動する殻社会の秩序が成り立つ。

しかし、これは「そうありたい」と自分が気づき願いを持たないとできないのも事実だ。
どちらかというと本能のまま自己中心的に生きるようにできてる人間にとっては、
大変苦痛であり利己心の阻害要因であることは間違いない。

大谷徹奘さんの教えのように人に依頼し、
もたれず、そっと相手に寄り添うのは大人の行動だ。

18億の借金から再建された伊賀焼きの長谷園七代目当主長谷優磁さんの企業理念は、
合掌と同じだと感じたので紹介する。
天保3年(1832)から続いている窯元だ。
もちろん時代とともに作った民具は変化して行ったことは違いない。
最近はいろんな石油化学製の商品や合成の民具が出てきて、
おもい陶器の需要は激減していき、
仲間も時代の流れで転職したり廃業に向かった。

ぎりぎりに追い詰められ、借金も返せない状態の中で、
炊飯器でなく土鍋で炊く、煮る、蒸す、冷やす、といった発想をし、
試作を重ねた数は1000個に及んだそうだ。

頑固なもの作り精神が長谷園の基本理念になってるのは、

「作り手は真の使い手であれ」

モノを作るものはついつい「自分の作品の価値が解らない」と我田引水に陥りやすい。
ところが生活民具は文明とともに進化するライフスタイルの中に、
自ら入って使い手であることに徹すると実際に家で使って試す。
この実験にも似た行為を「食事は遊びの広場」と楽しむしだ。

まず試作ができるとマンション住まいの東京の娘のところに友達集めて、
食事を振舞うのである。
もちろん使っての使い出が良かったかを聞くのである。

忌憚なく、重い、マンションでは台所に収納できない、
割れたら部品の交換ですまないかなどなど、いろいろの意見が出る。
それを謙虚に聞いて改善し創意工夫を重ねて商品にするまで諦めないのである。

弊社は石材会社であり、石が生活の中でどう生き生き生きてるかは時代によって違う。
50年前は郊外に山を削ってできた信仰の造成区画の石垣に門柱に使われた。
次は高級品として建築の化粧済として使われ、
次の時代は先祖を供養する墓石として使われている。
今、時代は少子高齢化となり、新しい使い方に変化しようとしている時期だ。

「石材」が時代の中でどのように使われるか寄り添い試行錯誤するチャンスが来た。
真剣に向き合えば必ず使い手が喜ぶ提案ができることを信じて邁進するしかない。
長谷さんも土鍋がヒットする確信はなかったが、やりぬくという覚悟と熱意があったと語られていた。

皆さんは仕事の合掌、家庭の合掌を具体的にどうされてますか?

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