敬愛和楽を生きる。

投稿日:2016年10月25日 更新日:

江戸時代に盤珪禅師と言う方の逸話がある。
ある盲人は人の心が解り、普通の人間は他人が喜んでる話を聞くと、
心にわずかであっても妬みが混じる。
逆に人の悲しんでる話を聞くと、
お気の毒にといいながらどこかに自分でなくてよかったと、
ほっとした喜びの心が混じっているものだというのだ。

ところが、盤珪禅師には全くそれがない。
人様の悲しい話を聞くと本当に心から悲しみ、
人の嬉しい話を聞くと我がことのように喜こんんでいてまじりっけがない。
こんな人に会ったのは初めてだと驚いたという話だ。

人間には地位、名誉、財産、学歴、男女などに汚れない「主人公」が住んでいると教えるのが仏教だ。
私「仮和合」が良いことをしたら「主人公」は私「仮和合」の心のそこから喜びを与えてくれ、
私「仮和合」が悪いことをした時には、私「仮和合」の心に動揺と反省を与えてくれる。

悲しいときには素直に涙し、うれしいときには心のそこから喜び、
怒るべきときには晴天の雷の如く、雷鳴の後は雲ひとつなく和らいだ光を放つ。

この「主人公」を仏心といい慈悲心のことだ。
どんな人の心の中にも存在する。

いつも私と共にいる。
現実に生きてる私のことを仏教では「仮和合」と言って仮の姿であると諭す。
本当の私は「主人公」といい、
本能にも感覚にも感情や理性にも惑わされない純粋無垢な心である。

「自他不二」は私の座右の銘である。
臨済禅師は「人惑を受けるな」と諭す。
本来の慈悲の心に目覚め、敬愛和楽の生活を実践せよと、釈迦も仏もないと言い切る。
その実践は簡単だ、「仮和合」の自己と決別する覚悟を持つことだ。
油断すると「仮和合」の自分に逆戻り「元の木阿弥」になると、
「主人公」が叫んでる。

「心こそ心惑わす心なり、心に心許すまじき」

皆さんは自分の主人公に出会って楽しく生活されていますか?

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