自分とは何か?
誰しも一度は考えられる。
あらゆる命の営みに着眼する前に人間だけ切り取って「人間とは何か?」と考えた。
天や宇宙について考えが及ばず、自己中心的な観点の狭さを感じる。
若いときは他人と比べ悲観的に成ったり楽観的に成ったり心は揺れ動いた。
いつも他人と比べて評価された。
とても不愉快を感じた。
自分より優れている奴を憎み、敵にして自分を発憤させた。
怒りのエネルギーだ。発憤すればするほどその人に対する憎しみは増加する。
この反発する心に火がつくと「がんばれた」
人を憎むエネルギーは自分を守ろうとする本能が働くから瞬間的に強く出る。
ところが、持続しないで、憎しみを強く持たないとエネルギーが弱まる。
緊張状態が長く続くと、どうでもいいからとなって怠け心が出てくる。
怠ける自分を見てまた「自分とは何か?」と悶々と悩む。
いや、「何のために生きてるか?」といった哲学的なことまで悩みだす次第だ。
自分で悩みを創って苦しみ、迷っているとわかっているが抜け出せないで堂々巡りしてる。
行動がないから課題も生まれない。
頭の中だけでぐるぐる堂々巡りで悩んでいるだけだ。
心が停滞し、「苦しく」て「苦しくて」この世から逃げ出したいと、
考えるようになる。行動がないから現実の中で自己実現しないのだ。
之は誰でもが一度は体験する精神の発達段階の初級段階だ。
さて、一挙に68歳になる今の心境を言うと、
「実に楽しい」毎日が楽しい、「生かされてる事に感謝し満足してる」
馬鹿なことを言うな、神でも仏でもないのにと、
「悟ったようなこというな」とお叱りを受けそうだ。
毎日判断に悩み迷っている事は生きてる限りあるし悟っていないのも事実だ。
中村天風は人間である以上執着する、
自分にこだわるのは至極当然だという。
「でも苦しんだろう」抜け出す方法を知らないからだと満足の五段階を諭す。
これが私の腑に落ちたのだ。
生きることが楽しく満足するには五つの段階がある。
1.本能的満足=食べたい、もっと食べたいになる(欲望増殖してきりがない)
2.感覚満足=もっと刺激的なゲームがたのしみたい(更なる刺激を求め増殖する)
3.感情満足=愛されたい、もっと愛された、褒められた(すべての人間からと之も増殖する)
4.理性満足=知的好奇心を満たしたい、何でも知ってたい(知らないと言えなくなるぐらい増殖する)
5.霊性満足=他人を喜ばせる事で満足する。周りに心を振り向ける(自分に振り向ける欲望から開放)
心が自己満足することに執着するから迷い悩むというのだ。
本能を満たす事、感覚、感情、理性を満足させることばかりに囚われるからだと言うのである。
他人を満足させる事に自分の心と身体の使う方向に切り換える事によって欲望から開放されると断言する。
之は決して魔法でもなければ、天のお告げでもありません。
自分の心の向きを自分、自分と言う方向から、
他人、他人を喜ばすに転換するだけの事だ。
誰でもできそうだが、
自分自分と言う思考癖が習慣化していてなかなかできないのも事実だ。
安岡正篤先生は「心に喜神」を持てとおっしゃる。
自分が自分がで苦しい神を持っていたら、苦しみがよってくる。
他人を喜ばそうといつも心に喜びの神(喜神)を持っていたら、
喜びごとが向こうからやってくるというのだ。
実に道理に叶った話だ。
人間から欲望はなくなりません。
しかし、他人を喜ばすという方向に心を向けたら、
欲望から開放され毎日が喜び満足の日々が送れるのである。
自分とは他人を喜ばすのが使命だという結論になる。
やってみる価値はある。
皆さんは自分とは何かと言う答え如何考えますか?