事業には哲学がいる

投稿日:2020年5月2日 更新日:

事業の目的は「世のため人のため自然のため」の三方は調和することだ。ところが世のため人のためだけに邁進し、
貧困から脱却しなければという大義をもって、現実の豊かな物質を求め効率と効果を狙ってきたのが近代資本主義でもあった。
結果はコスト削減の名のもとに富める国と貧しい国の格差を拡大してきた。言い換えると各国では格差が広がっている。
事業は自然とも協調していく方法を実践してこそ健全な発展である。今、人類に降りかかったコロナウイルスが教えるものは、
全体主義的な国家と自由と民主主義を標榜する国家に等しく問いかけるのは唯物的な考え方の欠点を暴こうとしているのだと感じる。

科学的という法則を実験を通して裏ずけ、それ以外は観念論と一蹴して心という人間の側の内面の意識の在り方に対する研究と学び遅れている。
人類は今まで目に見えることを分析し法則化してきたが、目に見えない世界に対する配慮が欠けてきたように感じる。
コロナウイルスというのは目に見えない世界であるから、心に恐怖心を興し、対応に右往左往しているのが現状ではないだろうか?

これを解決するには唯物弁証法を超えた哲学観が必要である。それには東洋特に日本の武士道や禅といったモノの見方があって、
「無」や「空」という見方と訓練法がある。今まさにコロナを恐れる恐怖心の根拠、逆の懼れない心の姿勢を創る時が来ている。
禅では「数息禅」と言って一念に数を数え不念(無)を感じる方法がある。たとえ話をするとコップに水を入れそこに砂糖を入れてかき混ぜる、水は濁る。
しばらく放っておくと砂糖が沈殿する。水は透き通る。まさに心の雑念を沈殿させるのが坐禅で、上部には透き通った水そのものになる。
自然そのものの無意識の意識が出る。

「明鏡止水」の状態で邪念がなく浄化されて、心が水と同化した状態だ。事業でいえば京セラの稲盛さんの言葉を借りると、
「動機善私心なかりし」という哲学観になる。だからと言って仙人のようにふるまえというのでなく、「無」の心で現実を濁りなく100%受け入れ、
如実知見するのである。そこから創意工夫して知恵を出し行動して三方よし、さらには自然も入れた四方よしを具体化する。
この東洋、日本の叡智が今問われているのである。「無」とか「空」は根源と言われ、すべてモノを生み出す土壌なのだ。
この心境で事業の哲学を確立し、現実がどんなことがあっても切り抜けていく勇気と情熱の構えができるのできる。

正岡子規の「病床六尺」の本の中に書かれているので紹介する。
「禅の悟りとはいつでも、どこでも死ぬる覚悟ができることだと思っていたが、よく考えてみるとそれは大変な誤りで、いかなる場合でも、平気で生きることである事が解った。」

皆さんは事業に哲学がいると思われますか?

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