戦後の日本経済を振り返ってみると、昭和30年代後半頃から中学卒業と同時に集団就職で上京した「金の卵」と言われた若者たちは工員となって一生懸命ものづくりをし、昭和40年代に「神武・岩戸景気」の時代となり、昭和45年には大阪で万国博覧会が開催され、高度経済成長期として、多国籍企業として品質の良い家電製品や車が世界中を駆け巡った。
その3年後には第4次中東戦争で「オイルショック」という危機が起こり、列島改造ブームで狂乱物価時代となる。
昭和50年代になると、「流通革命」と称して「ダイエー」を旗頭にスーパーが台頭し使い捨て消費の時代となり不確実性の中で成熟していく。
60年代に入ると「ハイテク時代」と言われ、世界から円高容認され、日本は内需拡大しろと圧力がかかり、ゴルフ会員権や株、それに不動産の地価高騰、1億総不動産社会屋と評されるようになってきたが、平成元年にはバブルが崩壊することになる。
そして「金融ビックバン」と言われる金融の再編が行われることになり、山一證券の倒産、北海道拓殖銀行の倒産が続くのである。
そんな中、平成3年にソビエト連邦の崩壊があり、自由主義・資本主義の勝利だと有頂天になる欧米と日本だった。
アメリカではシリコンバレーで次世代の情報化社会を見据えてIT技術を育成していた。平成7年にマイクロソフト社が「Windows95」という簡単で手軽な操作のパソコン向けオペレーションシステムを発売し、ネット社会の基礎を築いた。
情報革命の時代だ。
バブルは崩壊し、平成IT景気が到来しライブドアの代表取締役社長ホリエモンが一躍有名になるがITバブルも崩壊、アメリカの新自由主義の下で小泉内閣は規制緩和をすることで民間活力を引き出そうと郵政民営化をする。
IT化の波が日本経済に起こり、任天堂のファミコンが大流行すると同時にアマゾンのようなネット上の本屋さんができ、あらゆるものがリアルからバーチャルな店舗へとEC(イーコマース)の時代へと突入していく。
平成15年ごろから「イザナミ景気」と言われる改革と競争の時代となり、一時は1ドル84円になった。
その後、民主党の菅内閣に変わり1ドルが75円の円高になる。平成25年に安倍内閣が発足し政権を長期間維持し、昨年菅内閣にバトンタッチしたのである。この現代については経済の歴史はもう少し時間が経ってから検証する。
平成20年に起きたアメリカのサブプライムローン問題に端を発した金融ショックである「リーマンショック」から立ち直り、3.11の東日本大震災から10年が経過し、これからという時に「コロナショック」が進行していて出口が見えない状態だ。
しかし、このことで学んだことも多い。
1.日本の人材育成は家族のように社員を預かり終身面倒見るという物心両面の面倒見ていたはずが、物の面倒だけで人材育成は能力のみで人間性を育成してこなかったことに気づいたこと。
2.組織も上司も結果の量的な数値目標の達成のみに関心があり、管理育成の仕事をしていないことが解った。
ホワイトカラーの生産性が低いのはダイバーシティーの人材を強要せず、イエスマンの組織となり硬直していたことが原因。
3.働き方は必ず会社に出社して、そこからスタートするのでなく、ITを使ったテレワークや時差通勤によって内部事務の仕事ができることや、AIを使って一元管理の仕組みを創ることでIT化を促進することができることも解った。
4.業界の常識が大きく変化し、常識で考えるのでなくコロナ後の常識を考え、新しい市場や新しい商品サービスを作り直すことにも当然取り組むべきで、業界の順位が変わる業界再編成が始まることも解った。
そこで、必要なことは業界の変革と同時に人間の自己変革、そして物心両面を鍛えることだと確信する。
しかし、四書五経といった人間の魂を磨き(仁義礼智信)教える寺子屋がないのが現状。
人間力を磨く寺子屋が求められる。
コロナ後、日本的経営の良さをベースに欧米の個人のスキルを学ぶやり方をミックスした寺子屋を創造し運営して、多くの人財を育成することが経営の重要な課題であるとともに日本社会への貢献でもある。
皆さんは寺子屋経営いかが思いますか?
「寺子屋経営」の時代が来た
投稿日:2021年3月30日 更新日: