大阪石材社長ブログ

「意」の時代から、「意」と「気」の時代へ

投稿日:2023年12月21日 更新日:

今期のビジネステーマに「道徳なき経済は罪悪、経済なき道徳はたわごと」という二宮尊徳さんの言葉を挙げました。
スポーツで言う「心技体」と似ている。身体をしっかり作れば、心がしゃっきりし気力が沸き、そして技術を使って具体化する。
二宮尊徳翁の教えは、仕事を通じて「人間性」を養い、具体的な「経済性」も確立する。両方を行き来するから事が現実的で、結果幸福が実現するというものだ。

それは呼吸とも同じだ。人間は吸うという行為だけでは生きられないし、吐くという行為だけでも息が成立しない。
吐くと吸うという真逆の方向の呼吸という行為により、体内の目に見えない動きで身体中に酸素が取り入れられ、生きている。
同じように、寝るから起きて活躍できるし、寝れば昼間の活動で使ったエネルギーが回復されるように人間はできている。
止まると歩くという対立するものが一つになれば新しいエネルギーが生まれるようにできている。
対立するものが一つになると「動力」が生まれる。言い換えると、対局が通い合うと無限の動力を産むことになるのだ。

これは具体的なリアルな現実の肉体的な物であるが、人間にはこの肉体を動かすものが元々埋め込まれている。
それは「氣」である。中村天風はこれを「真我」と呼んでいるが、この「氣」を絶対積極意識にベクトルを合わすことが大事だという。言い換えると、気分がアップすると想像力、生産力、協調性などすべてがアップする。また、逆に嫌なことがあったりして、消極意識が出てきて気分が下がったら、創造力も生産力も、協調性もみんなダウンするのだ。
常にマイナスのことが起こっても消極的に考えず、ピンチは逆にチャンスと考え、新しい課題を解決できる機会だと、心のスイッチを切り替えるだけだ。

このような見方を「両道主義」というが、江戸時代の商人が実際やっていたことだ。
二宮尊徳の水車の理論はまさにこの両道だ。
川の水が流れているところに水車を作って動力に変えて米をつくる、それも川が枯れなければ無限に動力は得られる。
尊徳さんは「原理=自然の摂理」、「原則=人間の道理(みんなに共通する)」を掛け合わせれば無限の動力が得られることを見抜いたのだ。
また、1.至誠(私心なく素直に見る)(天道と人道)、2.勤労、3.分度、4.推譲の4つを理念に、実践こそ自己実現の道であり、成果失敗もどちらも成長価値と考え、アプローチの共有こそが学習と考えていた。
知識で技を磨き、深く知ると思考が変わり、実践で身体を磨き、深く行うと現実が変わる。信念で心を磨き、深く信じると人格が変わるのである。
人間性という人格陶冶と矛盾する経済性を考え行動すると私たちの物心両面の幸福が実現することは間違いない。
この対立するものを両立させる行動をすると、私心が少なくなって公人意識となるのである。
元々は、誰しも自分の為、家族の為、あるいは会社の為、国家の為、世界の為、地球の為と公人としての心構えができる。
尊徳さんは新しい開墾地を開拓すると同時に農民の心田開発も行っていったのである。
世の為、人の為という「信念」と「原理原則」の両立が行動によって習慣化され、600カ所もの村を救ったのである。

仕事や人生には上り坂や下り坂もあるでしょうが、いつも自分の気を陽気にする両道主義で自分の気をアップさせるよう気を引き締めたい。

みなさんは意と気のコントロールできておられますか?

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