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袁柳荘(えんりゅうそう)の『相書』の心の解説

投稿日:2023年12月19日 更新日:

明の三代目の成祖(永楽大帝)の輔弼(ほひつ:天子の政治を補佐する役目の人)で、袁洪という人が書いた。
人物の相を見るのだが、易者のような表面的な見方でなく、道心で見抜く見方をしたそうだ。
相を見るときは、太陽を仰いで、目が眩(くら)で暗んだところで暗室に入り、人の相を見ると百発百中したという。通常、坐り方や話し方、食べ方などの現れているもの(色)から相を見るが、袁洪は神、気、色の三点から相を読んだ。

「相良しといえども、気色好からざる有り」=「気色は心の外に現れたもの、相が好くても、心が悪く、気色の悪いものがある」
「天清明を得ずんば日月を得ず」=「天も晴れなければ、せっかくの日月も見ることができない」
「人気色を得ずんば運通ずるを得ず」=「人間気色がよくなければ、運が通じない」
「気開け色潤うを待てまさに時に通ずるを得」=「はじめて運が通じる」
「気滞すれば九年」=「気が滞れば九年駄目」
「色滞れば三年」=「色滞れば三年駄目」
「神昏ければ一世」=「神昏ければ一生駄目」
「三件倶暗ければ、窮苦老に到る」=「年をとるまで運が開けてない」

だから、形を養おうと思えば色、色を養おうと思えば気、気を養おうと思えば神を養わなければならない。
つまり深い精神生活を持たねばなければ、本当の意味の形相・色相は養われないという。
運というものは相に現われ、相が好くなれば運も良くなる。しかし、運を良くしようと思えば、心を養わなければならない。
心を養うとは本気で本当の学問をすることで、人相も良くなり必ず運を引き寄せる。

10年前から「易経」を学んでいるが、易経では「易を学ぶものは占わず」というのが鉄則だ。
日々精進して己亊究明する学問に徹する以外にはなさそうだ。精進、精進!

みなさんは単なる占いでなく道から見る袁洪の相を見る深さ、いかが思いますか?

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