大阪石材社長ブログ

「使う経営・育てる経営・マイペースの経営」

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2500年前に諸子百家時代という儒教が盛んな時代が中国にあり、聖徳太子などは儒学や仏教を学び、神道を日本の基礎に置いての律令体制を作るべく、冠位十二階を制定し、十七条の憲法を創られた。
国家という大きなものでなはいが、中央集権的な日本の政治の基礎を作ったことには間違いない。
当時は曽我氏とか物部氏などの豪族の武力による支配が主だったのを、人間の道徳心を基本に据え、国家運営をするようにした。
十七条の憲法とは官僚が人間としての手本になるように定められた戒めであり、その第一条はかの有名な「和を以て尊しとする・・・」で始まるのである。

さて、先日ある経営者と話す機会があり、どんな経営をしているかについて話した。
人の使い方を徹底しているのには閉口せざるを得なかったが、基本的に人間を信じないやり方だ。
これを聞いて、人を道具のように「使う経営」をされていると感じた。
勿論、お客さんには丁寧に仕事をするが、社員に対しては事細かに指示がなされ行動を画一的にさせる。
具体的な提案にしても微に入り細に入りメニューをいっぱい提案して営業をするが、状況に依ってのベストな提案かどうかは疑問に感じた。
また、現場は現場の徹底した指示があり、細かくシビアに副資材や原石のコスト意識も計算されていて、非常に数字意識が強く、他社の動向や単価にも敏感に競争を勝ち抜こうという意志を感じた。

次に、タイトルにある育てる経営とマイペースの経営について書かなければなりませんが、まず根本的に事業をするのは何のためにするのかを考えたい。
単純にお金儲けがしたいという動機の方から考えると、儲かる仕事はないだろうかとなる。逆に、お金儲けは結果で、生活者が生きていくために必要な道具や機械や商品をつくり販売する。あるいは、私のように、石材業は愛媛の地場産業に大島石という墓石材があるのだが、それを全国に普及させようというビジョンがあってそのために始めるということもあるだろう。

私は現実の業界のマーケティングもなく、夢のある話だと飛びついてやったに過ぎず、動機は善だったのですが、だからと言って順調に発展していったのでなく、行き当たりばったりの事を繰り返していた。
私見だが、この墓石事業を継続してやるには、業界の規模や石材従事者の数とか原石の年間生産高それに死亡者数などを理解し、運営するには資本金や経営の基本的な「ヒト・モノ・カネ・情報」を調達しなければ運営はできないと感じる。
また、業界や社会的な貢献を考えれば「私益・共益・公益」という観点からも業界を良くし、税金を確実に払って公に貢献する。
具体的には「売り手よし、買い手よし、世間よし」という、近江商人の「三方よし」の理念が上手くバランス良くいかないと運営できない。
これは単に理想論ではなく、うまく成功し成長している事業は必ずこの基本ができていることは間違いない。
もちろんすべてが完璧な事業は有りません。
私自身すべてが発展途上だから、さらなる成長と進化を目指しているところである。

なにか大風呂敷を広げたように感じられるかもしれませんが、石材の事業にしても原石を自然との関係での乱開発をしないとか、また流通では国道や県道などを利用させてもらうには税(公益)を払う義務がありますね。そして市場では互いが技術や付加価値を創造し、互いが切磋琢磨し学び合い健全な仕事をする組合活動(共益)もしなければならない。もちろん、最後には事業の従業員の生活(私益)を守り、再生産するために投資する必要があり、人材も育成しなければ発展・成長は有りません。

資本主義社会では国があまり干渉せず、市場での「競争・信用」が基本に自由に活動することで活性化するのであるが、その反面、格差社会(貧富の差)を産んでいるのも事実だ。
社会主義経済では5ヵ年計画とかと言って、成長の度合いを自由に任せず計画生産するのが習わしだ。
(現代の中国は一国二制度と言って国家運営は社会主義体制、経済は自由主義というような進め方をしている)

「育てる経営」で重要なのは付加価値の創造で、従来は技術革新を中心に考えられたが、現在はデザインとかIT化といったソフト技術の開発に重心が移ってきている傾向だがある。
従来のような工業化社会から情報化社会に変化してきた現代はますますパーソナライゼーションの商品サービスが求められる。
そこで重要なのは人材育成である。
求められる人材は創造力が利、協調性もあり行動力もある人材だが、もっと深い要望としては道徳心がいる。
というのも、IT化によってアバターが存在し、FBなどではなりすましが出てきて詐欺が横行する時代になっている。
真実を見抜く目、あるいは善悪の判断ができる道徳観が必要な時代になってきているのである。
ところが、明治時代から廃仏毀釈によって天皇中心の国家神道となって、戦争へ駆り出された暗い過去があって、戦後は道徳教育がなされなくなったのも事実である。
法治国家だから大丈夫ということはなく、道徳や倫理といった人間としてどうあるべきかという情操観念がなければ、国家が滅んでいく可能性は少なくないように思う。
単に事業に必要な能力だけ身につければいいのでなく、まさに能力と人格のハイブリッドな人材育成が望まれる。

さて、最後に「マイペース経営」はフランチャイズや保険屋さんのような独立事業体、食堂やあらゆる小売店などで、自分で100%責任持って経営する自己責任型である。

儒教的に言うと孔孟は「育てる経営」をみんなで分業して大きくやりたい派で、老荘は「あるがまま」を標榜し、職人的で人間的な欲望もそこそこの個人主義派の「マイペース型の経営」だと感じる。
大きく発展させるには「育てる経営」を基本とした人材育成から行わないと成長・進化は望めないように思う。

みなさんは家庭という事業においてどのようになさってますか?

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