「感性」を鈍らさない

投稿日:2020年10月9日 更新日:

感性論哲学の芳村思風(ヨシムラ シフウ)さんは「愛と意志」によって自分の長所を伸ばせとおっしゃる。
感性とは単なる感覚、感じることでなく、知的感性と表現される。

さて、よく子供の心を持った大人を素敵だという評し方がある。
まさに赤子のような心の持ち主のことを言うのである。
赤子の心とは何かと考えてみると、素直に感じる心である。
子供は怖い顔を向けると泣きだし、ニコニコすると笑いだす。

仏教ではこの心の在り方を「大円鏡智(ダイエンキョウチ)」と言って、鏡のように何でもありのままに映す「空の心」を言うのである。
古希とは孔子の言う「矩を踰えず」の年齢を生きている私は何でもほどほどにしなければならないと思うができてない。

自己正当化するつもりはないが、ある老人が「私はこの頃何を言われても腹が立たなくなりました。だんだん仏さんに近づいてきた証拠ですな」と言ったら、
即座に傍にいた坊さんが「あなたは仏さんから遠くなっている」というのである。

禅ではなんでも解ったふりして悟っているような態度をする禅者を「野狐禅(やこぜん)」と言って偽さとりというのである。
この老人は実は感性の感覚が鈍って、覚ったと勘違いしていると言ったのである。

年齢が行っても、感動する心、若々しく新しい発見を喜びにすることこそ良き生き方だと教えるのが禅だ。

先日、免許の切り替えに自動車学校で視力や認知テストを受けた。
視覚は180度見え、眼鏡をかければ視力(もともと近眼)も大丈夫だったが、反射神経は年相応だと言われた。
コロナウイルスの自粛要請も相まって、運動不足は否めないが、維持することを心がけねばならないと痛感した。

皆さんは感じる心鈍感になっていませんか?

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