「野心と志」について

投稿日:2019年5月19日 更新日:

読経するのは誰のためか?
御釈迦さんに「死人の前で読経するとよい処に生まれ変わりますか?」

御釈迦さんは黙って小石を拾って、池になげいれました。
沈んだ石を指差して、この池の周りを
「石よ浮かび上がれといって浮かび上がってくるでしょうか?」
「そんな事で石が浮かび上がることはない」
「そうだろう。石は自身の重さで沈んでいったのだ。
 人間は自身の行為(業)によって死後の報いが定まる。」

自分のために経を読む。
大事な事は「行動」だ。
さて行動するには動機がいる。
基本的な動機は本能が支配する。
五欲(性欲、食欲、睡眠欲、名誉欲、財欲)
七情(喜・怒・憂・懼・愛・悪・欲)
に支配された状態が凡人のわれわれは普通だ。

「野心」とは自己実現で自己満足の欲望と感情が主人になることだ。利己的な未来像を描き協力者は得れないで自滅する。それは自己実現が優先された自己中心的な思考だ。

「志」というのは夢の世界であり、
みんなが喜ぶもの実現すべき未来像を描く事で、
「世のため人のため」だ。きれいごとでもなんでもない。

私の大学の後輩で回転寿司チェーンを起業した人物がいる。
素晴しい業績で1000億を越す売り上げで世界にも進出してる。彼の口癖は「回転寿司のディズニーランドを作る」だった。
なんか子供と家族が楽しそうにディズニーの回転木馬にのって回転寿司を食べている姿がイメージできる。
ここから発想して大人も子供も喜ぶアイデアを出して次々革新的なことを実現している。
単にお金儲けをするという野心ではないからこそ成長し続けるのだ。
吉田松陰の言葉に、
「夢なき物は理想なし
 理想なき者は計画なし
 計画なき者は実行なし
 実行なき者は成功なし
 故に、夢なき者に成功なし」

「私心さえ除き去るならば、進むもよし、退くもよし
 でるもよし、でざるもよし」

「世に材なきを憂えず、その材を用いざるを憂う」

理論武装と言って理屈に頼ってる段階はまだまだ未熟だ。
理性を超えたところで志に生きる覚悟がいる。

皆さんの持ってられるのは野心ですか?志ですか?

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