大阪石材社長ブログ

「仏壇と墓」って何だろう

投稿日:2021年7月24日 更新日:

薬師寺の大阪波羅蜜会の例会が月に一度あり(コロナでオンラインや休会もある)、仏教法話や盆供養などで、般若心経を多い時は五十巻を唱和したりしていました。
今年は八月の三日盆供養が講堂でありますので参加します。

さて、人間は生命を維持するには日の光がなければならないし、大地からは食物を頂き、海や山からもたくさん恵みをもらっている。
この自然の働きのおかげで生きているので、朝日に祈り拝んだり、夕日に感謝で祈る。

そんな習慣がいつの日か仏壇や神棚となって拝み祈ってきたのだろう。
一方、亡くなった人を弔い、供養の墓を建て、先祖に感謝を伝える意味でも参ってきた文化がある。
目に見えないモノが見えるモノを生み出し、人間を育んできたからである。

コロナ菌が充満し、毎日マスクをかけた日常生活を強いられ、会食も人数制限を求められている現代。
見えないものを恐れるのでなく、日頃から感謝をし、祈ることが大事だ。

薬師寺の故高田好胤(たかだ こういん)さんは奈良の少年刑務所に慰問され500人の前で、「君たちの家に仏壇か墓はありましたか」と聞かれたが、誰一人手を挙げなかったそうだ。
目に見えないモノへの感謝の気持ちが教えられていないと語っておられたのが懐かしく思い出される。

少子高齢化社会が到来している現在、仏壇じまいや墓じまいが多くなっている。
お墓を継ぐ子供がいないとか、都会に住んでいるので置く場所が無いとか、お墓参りに行けないといった理由が多い。
自分さえ良ければいいという欲望がどんどん肥大化すると同時に、見えないモノへの配慮がされなくなっている。
石屋をやっている私どもからすると、一家の根を断ち切ってしまうことになるように思い寂しく悲しい。

さて、説教する気はありませんが、先日大変嬉しい報告を聞いたので紹介します。
K墓地の納骨手伝いに弊社の墓守隊が準備をしていました。梅雨が明けて日中は35℃を超す暑さでした。すると、墓地の向かいにあるカフェの主人が「暑いから店に入って少し休んでいきませんか?」と電解質飲料をくださったそうです。
「ありがとうございます」と言ったら、「いえ、お店の目の前にある墓地の中の観音様に守られているので、どんな人が来られても墓地で仕事されている人には、感謝の気持ちで休憩をしていただいています。」とおっしゃったそうです。

小さい時、もらい物のお菓子などは必ず仏壇に供えなさいと教えられ、少したってから母親が「仏さんのおさがり」と言って分けてくれました。
無意識に公平感と「ありがとう」という感謝を感じたものだ。

だからと言って宗教心や仏教について知っていたわけではありません。
見えるモノは言葉にできます、見えないものは言葉がありません。
だからこそ、感じる心察する心を大事にしなければならないように思う。

皆さんは仏壇や墓の意味どう思っておられますか?

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