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「神の詩」(バガヴァッド・ギーター)に学ぶ

投稿日:2021年10月28日 更新日:

2500年前にアーリア人と土着のドラヴィダ人(ペルシャ+インド人)との混血が産まれ、融合してヒンズー教の聖典が大成される。現在のようになるのに約1000年かかって、グプタ朝(紀元後320年頃から550年頃)時代になる。
ところが、この時代からバラモン教や、ヒンズー教の批判が起こり、仏教やウパニシャッド哲学、ジャイナ教が生まれる。

さて、なぜ批判が起こったかであるが、カースト制による身分差別的統治とバラモン階級の特権化である。
カースト制は、もともと仕事を通じての精神的な成長の階級を表したものであって、
1.シュードラ(奴隷)という人に仕える修行で人間の足に例えられる。(無知の資質)
2.ヴァイシャ(商人)という豊かな社会で人を使って社会に奉仕する修行、人間の胃袋に例えられる。(無知と激情の資質)
3.クシャトリア(軍人)という行政担当で国民に奉仕する義務を負い、人間の腕と手に例えられる。(激情の資質)
4.ブラーフマナ(知的指導者)という知識労働階級の人々で科学者、教師、哲学者であり、知的精神指導を司る人間の頭。(徳性資質)
カースト制は動物次元から仕事を通じて精神的発展し人間として成長する修行のカリキュラムであって、身分差別ではなかった。

上述のように人間の精神は足から出発して頭の智慧を得ることだというのである。
まさに知行合一を意味するが、知は宇宙の法則で相対化してはいけないのである。
なぜなら主観が入っては自分の都合になるからである。
この「神の詩」という本の中にも「善を見て愛慕せず、悪を見て嫌悪せず、好悪の感情を超えた人は、完全な知識を得たのである。」という一文がある。
仏教的に言うと「小我」を脱して「大我」になる。自分の損得好き嫌いの判断をしない自分になることだ。
すると宇宙の声が聞こえ、法則が見えるということなのだ。言葉を言い換えると目に見えない「気」である。
しかし、行動するときには「意志」がいるから善行、みんなのためになる利他行を優先させ行動することにより、周りがみんな良くなるような「至善」を実践してこそ解脱するというのである。
これが知行合一になる良い方法だ。

仏教で「如実知見せよ」というのは、道元の言う「身心脱落」であり、自己も他人も人間的価値を脱ぎ捨てることが「正しい知識」を得る姿勢だという。
また誰でも宇宙の法則を感得できるというのがヨーガを行ずることだ。
現代は外界の唯物論による科学が発展して意識の学的体系を学び、経済的には生産力を上げることはできたが、一方で人間の純粋な精神は意識に覆われて、元の気の「元気」を取り戻さないと唯物的な人間になってしまっていると感じる。
昨今の脳科学や心理学を深めたら、量子論に合致してくるような記事を見かけると、人間はみんな「小宇宙」を持っているのだと確信する。
今後の課題は自分主観を除き自己を客観化する方法を2500年前の神の詩に学ぶ時が来ているように思う。

皆さんは内なる自分の能力の無限さ感じていますか?

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