白隠(はくいん)禅師の逸話に次のようなものがある。
ある武士が白隠さんに「地獄・極楽はどこにあるのか?」と訊ねた。
すると白隠さんは「武士の癖に死後のことを考えるのは臆病者だ」と言った。
武士は怒って刀を抜き、白隠さんに今にも切りかかろうとした時、「それが地獄だ」と白隠さんは言った。
武士は目が覚めたのか「申し訳なかった」と謝った。
そうすると、また白隠さんは「それが極楽だ」と言ったそうだ。
仏教では業(ごう)とは行いのことを言い、自業苦(じごく)と書いて、苦しみは自分の行いの中にあると諭した。
心ひとつの置き所で、人間は自分の行いで地獄・極楽を作っているのだ。
人間の常として、自分より遠い関係の人には丁寧に接し、身内や家族には気を許して不躾な表現をする。
それは、自分を率直に出しても許してくれるという甘えからくるのだろう。
「親しき中に礼儀あり」という言葉があるように、自業苦で自ら地獄を作らないように礼をわきまえたいものだ。
養老孟子さんはモノの見方や考えに個性はないと断言され、身体に個性があると言う。
例えば絵画を考えてみると、美しいものはみんなが美しいと感じるから、みんなが良いと言ういい作品は歴史に残る。しかし、ゴッホが描いた絵を同じようにみんなが描けるかというと、身体の個性だから万人にできるわけではない。
私たちが考え方やモノの見方を個性と思っているのは勘違いだということになる。
サッカーなどで人間が決めたルールを守って試合ができるのは、モノの見方や考えを共有することが出来ているからだと言うのだ。
みなさんは地獄・極楽を死後の事と思いますか?