私が結婚したのは当時体育の日と言われていた10月10日で、私の誕生日が10月11日なので30歳になる1日前だった。
その1年前の10月10日には、共に石材業界に身を置いている同志の友人が結婚した。
その席上に小田切瑞穂先生が来賓として来られていて、寄せ書きを書くことになり、先生が書かれた言葉が「意気色空を貫く」でした。
私たちは先生から「般若心経」の講義を受けていて、「現象」と「本質」と言った抽象的な概念を学んでいました。先生は独自の哲学として「潜態論」を打ち立てておられ、仏教と科学を統一した哲学を標榜され、私たちは中身は解らないが興味深く聞き入っていました。
また、理論物理学の研究もされていたので「原子核の奥の素粒子はこうだ」というような説明も聞いていました。
その当時は原子炉が建設され電気を作る時代に突入していました。
しかし、核燃料からの放射能や使用済みのウランの処理方法が確立されないまま実施されていました。
そして現代も核燃料の冷却水放出による放射能の影響を巡って国際的に議論されています。
当時、先生は「現在は核融合でなく核分裂によって大きなエネルギーを得ているが放射能問題が解決できない。だから、低温核融合を実現させる必要がある」とおっしゃって、それについて研究されていました。
これには非常に興味があり、石油という化石燃料にも限界があると埋蔵量などの推測が盛んに行われていた。
先生は「必ず安全な低温核融合の研究を深めるべきだ。人類は自然も人間も破壊するぞ。」と警告を発せられていた。
人間のエゴで自然の循環的な使い方でなく、欲望を増殖するような使い方をして、便利だけを追っかけていては駄目だとおっしゃっていた。
まさにその通りであるが、人間の智慧がまだまだ及んでないのが実状である。
そこで先生は、個人が深い哲理を学び、自然と共生する社会こそが永続する人類の生き残る方向だとおっしゃられる。
ご自身の著書の「科学的生命論」では、今の文明を貪欲文明と評し、ここから脱却するには個々の人間が立脚することだと説かれる。
これは体得せよという、大変ハードルの高い哲学観であるが、真実でもある。
それには「意」と「氣」の意味を充分理解しないといけないと思っていた。
「意」とは具体的な現象であり言語化し固定する過去と今、「氣」とは潜態に潜み目に見えないエネルギーであり、これがすべての生命の根本だという。
現実はあまりにも理性至上主義化して、本質を見誤っているというのである。
般若心経では見事に「色即是空 空即是色」という表現をしている。
「空=氣」というのであるが、可視化できない電気のようなものでしょうということになる。
人間でいえば論理的になっているのが現実だが、それ以前に「思う」というのが「氣」に当たる。
「氣」を先生は発散理性と具体的な方向や姿勢を指示されている。
言い換えると、利他的方向性でエンジンとして自然に共生できるように行動することだ。
「意」にはどうしてもエゴが入ってしまうという。
まるで禅坊主のように世を捨てた人の孤高の哲学のようになってくる。
でも、現実的に「思い」を高く持って強く強く思って行動すると必ず実現すると信念もって経営されている京セラの稲盛さんがいる。
いろんな言葉を残されているが、その中の一つの「ど真剣に土俵の真ん中で相撲とる」という言葉のように、何事をするのにも「氣」を入れてやると周りが見えると言いたい。
そして「誰にも負けない努力をする」、克己することが大事だ。
また、二宮尊徳流に「自利のない利他はたわごと、利他のない自利は罪悪」と、こんな風にもおっしゃられている。
気から意へ、意から気へと自由自在に使いこなせたら、人間は高まっていくこと間違いなしだとも察する。
それには現実の中で体験を通じて学ぶしかないですね。
森信三さんは「真理は現実のただ中にある」と言っておられる。
道元も「善悪は時なり」という言葉を残している。
みなさんは意気色空を貫き自由自在の楽しく生きられていますか?