大阪石材社長ブログ

「洗心無垢」に思う

投稿日:2023年8月4日 更新日:

人間は生まれた時は純真無垢な心だが、生い立ちや社会経験とともに、固定観念と言う名の絵具で色付けられていきます。
目に見えない心を洗うのには気づかない人が多いでしょう。

一番古い書物と言われている「易経」の繋辞伝上に次の一文がある。
「聖人、此れを以て心を洗ひ、退きて密かにかくれ、吉凶、民と患いを同じくす。」
意味は「心を洗い清めることによって、民と吉凶を患いを同じくする」ということだ。
君子(上に立つ者)は心を洗い日々新たに過ごすことが大事とされたのである。

仏教でも「父母未生以前(ふもみしょういぜん)の本来の面目」と言って、「両親が生まれる前のお前は何か?」という問いがある。
この問いは円覚寺の釈宗演(しゃくそうえん)老師に夏目漱石が参禅したことでも知られる問だ。
この時、常識や知識で答えられず窮したが、両親よりもっと大きな生命の流れ中に端を発したことに気づいたと言われている。
人間が自然から生まれ、純粋無垢な姿が本来であり、自分が体験や知った知識の自分は仮の姿と仏教では諭す。
言い換えると「意識した自我」は自分の一部の仮の姿、本来は「無我」であり純粋無垢なんだと諭すのである。

洗心無垢の自分であるには日々洗心が必要だと改めて思う今日この頃だ。

みなさんはどんな方法で洗心されていますか?

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