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「性即理」・「心即理」について

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「性即理」は南宋の時代の朱熹(しゅき:1130~1200年)が立てた朱子学の本質を表す言葉だ。
人間の本来備わっている道徳的本質(性)と、各人が持って生まれた気質(情)とを区別し、性は元々人間が持っているものなので、天から与えられたもの、つまり善として、逆に情を悪とし、学問によってこの情(悪)を性(善)に変えることを重視する。
学問研究の目標は「理」を体得し、「聖人」になることで、「理」とは天理、真理、大自然の摂理、宇宙の根本原理のことである。
前述の通り、人間の心は性(仁義礼智信=五常)と情(感情・欲望)から成り立っており、情は動かされず、性に従って生きることが「理」に達することである。
聖人は学問の研鑽と静坐(坐って身心を鎮める瞑想法)により達成した人をいう。

「満街人都是聖人(街中のすべての人が聖人だ)」と言っているのである。
「聖人の道というものは、吾が内に内在する本性、『人間が誰でも持っている人間らしい心・人間としての本質そのもの』を自覚し、発現するだけで十分に実現できる。今までそういう内なる道理を外にある事物の中に探し求めていたのは誤りであった」
「人間は生まれた時から心と理は一体であり、心が後から付け加わったものではない。その心は私欲によって曇っていなければ、心本体の在り方が理と合致するので、心の外の事物や心の外の理はない。」と考えた。
陽明の主張は朱子学の先知後行の考えで、認識を実践より優先重視するのでなく、実践重視で「知行合一」を説いた。

明治の志士たちが陽明学を学んでいたことは承知の事実だ。「知は行の始め、行は知の成るなり」

みなさんは朱子学・陽明学のどちらを重視しますか?

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