タイトルの「精神の柱」について考えるきっかけがあったのは私が24歳の頃だ。
一度目の会社を半年でやめ、当時大学の学長だった竹内正巳先生に紹介してもらった会社で恩師の理論物理学の小田切瑞穂先生に出会った。
社会人になって右も左も分からず、ただただ我武者羅に働くことしかできなかった時期だった。
小田切先生は理工化系の先生なので、話が難しすぎてちんぷんかんぷんだった。
初対面の時に「君は覇気もあって行動力もあるが、目見えない精神の柱ができていない」と言われて、思わず、「どうしたら精神の柱ができるのですかね?」と訊ねました。すると、先生は間髪を入れずに「私が主催している東方学術院という会があるので、近畿支部の世話役しなさい」とおっしゃられ、意味も分らぬまま引き受けてしまい、数日経って「梅田の太融寺で会をするから部屋を借りて案内状を出してくれ」という依頼を受け、名簿を渡され交渉に出かけ案内状をつくって発送した。
その会で小田切先生は地震の学説の「潜態論」の話と核融合の実情の話をされた。
門外漢の私は哲学や物理学の単語も知らないし、頭には入ってくるわけがありません。
わかったのは「現状の核分裂の手法では放射能が出て危ない」と世界中を相手にする話で、本来は低温核融合ができると断言されていたことだ。
既存の学問を徹底して批判的に話され、真実かもしれないが日和見主義的に考え「危ない人」だと思った。
それから、何かと東方学術院の世話をすることになり、今まではあまり深く物事を考えてこなかったが、そこでたくさんヒントもらい考えるようになった。
疑問だったのは二つある。
一つ目は小田切先生の哲学は身をもって体得する哲学だと思ったのと、もう一つは砂漠に道を通すような困難な人生観で孤独で困難で厳しい生き方だということだ。
今考えると本当に薄っぺらい、浅いものの見方をしていたと思う。
この小田切先生の縁で27歳の後半から今の石材業をやることになり、会社にして今年で47期目を迎えることになった。今も深いことはわからないですが、小田切先生のものの見方を真似してきたように思う。
事業も人間の営みであることは間違いない。買う人も売る人も世間も人間の集団だ。その社会で仕事するには先生がおっしゃった「精神の柱」がいる。
「哲学」と言ってもいい。今から未来をどう想像するのかというモノの見方だ。
逆に過去と現実をデータ化して、実験し、法則を導き、世の中をより良くするように使えるのは「科学技術」だ。
もう少し抽象的に言うと「能力と人格」「才と徳」とも言える。人間が生きている社会(土壌)の上に事業があるからだ。
永遠に自らに問いかけ、学び、体験し、自分を深め広め、「哲学と科学技術」を調和させる。
人間は元々より良くしようとする心が埋め込まれているが、それを引き出すのには誰にも負けない努力がいることは確かだ。
みなさんは「精神の柱」どのように創られてますか?