心臓は肉体の構造物として存在があるが、心は機能(働き)だから見えてこないと養老孟司は言う。
循環器というがこれも存在がないし、呼吸も空気を吸ったり吐いたりする動作に過ぎない。
さて、心の働きによって、人間がどうなるかを陽明学の王陽明が「五つの心」と見えるように示している。
1.心が騒がしくなると動作まで騒がしくなる。
2.心がだらしなくなるとみえることも浮ついてくる。(人間は心に持っているモノしか目に入らないようにできている)
3.心に飽き足らないものがあると気力が散ってしまう。(満足しないで不平不満を持っている心)
4.心が留守になると顔も形も締まりがなくなる。
5.心に驕るところがあると顔色も驕り高ぶる。
心を高めるとは、人間の本能心(エゴ)という利己心から全く対局の利他心を磨き上げることです。
人間は仏教で言う三毒、利己心の「欲しい、欲しい」の「貪欲」、憎しみ妬みという「瞋恚(しんい)」、不平不満という「愚痴」が無意識に出てくるのだが、これを自分の意志でコントロールして利他心を一番に行動するには誰にも負けない努力がいる。
結果、人格が磨かれ、誰からも慕われ、信頼される人物になり、社会ではそんな誠実な人物が他人を喜ばせ、他人と対立せず調和し物事をうまく進めるのだ。
そのようになるには、心の奥にある「良心・本心」で三毒を抑えて、判断し、決断する努力をする人を目指し、利他心で「世のため人のため」という高邁な志を持ってお役に立つ行動を創意工夫することです。
善を思うだけでも一歩磨けますし、美しい心となり、思いやりと愛に満ちた人間関係ができる人格になる。
ところが、陽明の「五つの心」にあるように、自分の心に油断があると心を低めてしまうのも事実だ。
損得を超え、好き嫌いも超え、続ける努力がなければ、利他心は出てこないように人間の創造主は創っているのです。
「経営を伸ばす」とは事業のことだけでなく、家庭においても同じです。
一昔前は、家に帰れば家の社長、会社に稼ぎに来ている社員稼業と呼ばれていました。
今は男女平等でどちらが主になっても自由ですね。
世の中は進化し続けています。そして、心を高め磨くことにも限度はありません。
言い換えると、利他心を磨き出すのは利己心のブレーキのようなものですね。
みなさんは具体的に心を高めることどうなさっていますか?