奈良東大寺は華厳経を根本にした教えだ。
唯心偈の一部に「如心偈」と言う経があり、
「心造諸如来」=心が如来をつくるという意味だ。
此の唯心とは唯物の反対の唯心ではない。
弁証法的に考えると正反合と飛躍した超唯心(絶対的唯心)と考えられる。
相対的な意味を超えた絶対的な唯心とは人間の常識を超えた良識のモノサシだ。
唯心=大地の心、宇宙の心で如来蔵識のことだ。
スパーニータ734偈に
「苦しみが起きるのは、すべて識に依る。
識が消滅すれば、もはや苦しみ生起する事なし。」
自分の心が人間的な常識を超え、
天の心=良識(御天とさんが見てござる)の宇宙の心に転換する事だ。
こんな事が実際できるかは、体験したものならわかる。
一切の利己的な心が昇華され純粋無垢な心にならないと天の心にはなれない。
華厳経の「因縁説」では、因縁が四つからまりあってできてるというのである。
1.「仏の神力」「如来の神力」自然界のエネルギー
2.自然の道理ー高きは低きに流れる法則
3.衆生の行いー社会の規律や常識から発する行動
4.「普賢菩薩の願い」「自在の願力」-もっと自由で自在になりたい人間のおもい
此の四つで現実化していると説くのだ。
心と仏と衆生の三者に区別はないと無分別を諭す。
決して神秘主義的に神がかった誤魔化しを華厳経では取り上げているのではない。
今に生きる人間が相対的に現実を捉えるから苦しみ、
ひとつの事実として絶対的に受け止めてこそ、
苦しみから解放されると説いているのだ。
そうする事で私心を離れ、実相が見える。
「直指人心 見性成仏」と白隠の言葉にも通じる。
外に幸福があるんでなく、
心の内に幸福を充満させると幸福を引き寄せる事になる。
心を幸福で満たせれば幸福が現れるのだ。
(本当かどうかは自分で実際行動して確かめるしかない。その価値はある)
皆さんの心は今現在幸福でいっぱいですか?