大欲は無欲に似たり
一休禅師に祈祷を頼みに来た老人がいる。
『私は80歳になりますが、後20年長生きしたいのです。』
一休禅師答えて言いました。
『たった20年でいいのですか。なんと欲の少ない人だ。』
老人驚いて言い直しました。
『家、できればあと40年ほど長く行きたいとおもいます。』
『これは、ますます欲の少ない人だ』
『ではあと100年』
ここで一休禅師は諭しました。
『50年や100年長生きしても同じことだ。そんな小さな欲でなく、
なぜ永遠に生きようという大きな欲を持たないのだ。
仏さんは永遠に生きる道を解いているのだ。」
花は散ってもまた次の年には花が咲きます。
川の水は流れ去っても、流れは永遠に続きます。
人の肉体は滅びても、また自然に返り、新しい生命の源となります。
魂は仏になって、永遠に生き続けるのです。
これは実に面白い諭であります。
人間は欲望によって苦しみます。
欲望は大ほど浅ましく卑しいものとされています。
しかし、仏法は『小欲を捨て、大欲にたつ』ことを解くのですね。
ちっぽけな欲を超越する大きな欲を持てば、煩悩に煩わせることはないというのだ。
だからこそ、かえって謙虚になれるのである。
他人をうらやんだり、憎んだりするのは『自分のもの』『他人のもの』と分別するから起こるのである。
この分別するこことが他人から『奪う』と言う発想になり、
あるいは自分のもののように振舞ったりするのである。
他人と自分の垣根をなくし『自他不二』になれば、
すべてを共有すると考えられる。
私「と」あなたでなく、私『の』あなたになる。
まさに、大欲は無欲に似たりとなる訳である。
「永遠」と言う大欲をもってこそ楽しい人生が目の前にやってくるに違いない。
皆さんは『と』の世界観ですか?『の』の世界観ですか?