絶対がないということが絶対

投稿日:2018年1月24日 更新日:

楽しいことはすぐに覚えるし笑顔がでる。
楽しい事ばかりが起こるのは、楽しくない事があるから楽しいと思えるのだ。

青春時代は「絶対的なモノサシ」にあこがれ、世の中に正解があることを求めた。
壮年時代は絶対性がないことを思い知らされ、相対性の現実に悩み苦しみ迷ってきた。

古希を迎える年齢になって、正解という絶対性はないからこそ、
末来を生きる時間と希望と勇気が湧くことを知った。

「正義感」をかざして、単純な利他心を大儀に、
仕事に打ち込んだが天は私の心臓にいたずらした。
「正義」を一心に信じることは、独善の世界観である事に気付かされた。

人間もある年齢になると良い雰囲気がでると、シルバー川柳を読み笑顔になる。
実は息を止めて生き急ぐのでなく肩の力が抜けてるのだ。

【シルバー川柳】
 「紙おむつ 地位も名誉も吸い取られ」
 「デジカメは どんな亀かと祖母が聞く」
 「マイナンバー ナンマイダーと聞き違え」

ほんとに呆けてるのか、振りをしてるのかは解らない。
母が介護施設に入る条件として認知度合いが4でなければ優先的に入れてもらえないので、
医者の前で「あんた誰?」というのやと教えた。

しっかりそう言ってくれて、医者は、「これはかなりひどくなりましたね。」ということで、
認知度4を貰らった。

そこで、帰りの車の中で「上手く行ったね。」というと、
あっけらかんに「上手やろ」と返事した。
呆けてなく正常やと思い知った。

母が嘘ついてると咎める気持ちより、人間らしいと感じた。
人間は不完全な存在だし、自分を守る事が第一の利己的な存在に違いない。
社会では経済的には嘘は詐欺になるから、
罰せられアウトローになれば生きていけないから我慢する。

しかし、身を守るために少しオーバーに表現したり、
黙って意志を伝えなく嘘ぶることがある。
(許される範囲の誇張表現だ)

「柳に雪折れなし」ということわざがあるように、
しなやかに生きることが今後の課題だ。

だからと言って自分を偽ったり、迎合しようというのではない。
自分らしく右左の間を上手く自分の道を作りながらだ。
「中庸」とか「中道」というのはあるものでなく、
生死のようにどちらにも足を置きながら、
時には弱々しく、時にはたくましさに揺れながらしっかりとした足取りで歩きたい。

今までのように吸う息を意識するのでなく、吐く息を大事にして!
人間は愚かであり、人間は素晴しい。
この喜怒哀楽のなかで揺れながら動く心地よさを味わう。

皆さんの年齢ではどんな生き方を心がけておられますか?

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