論語述而第七の始まりは、
「子曰く、述べて作らず、信じて古を好む。
竊(ひそか)に我が老彭(ろうほう)に比す。」
意味=私は、古聖の道を伝えるだけで、自らの新説を立てず、
疑うことなく古聖の教えを好む。そうしてひそかに、
私が尊敬する老彭(殷の賢太夫)になぞらえているのである。
実に孔子先生は謙虚ですね。
続いて「子曰く、黙してこれを識(しる)し、学びて厭わず、
人を誨(おし)えて倦(う)まず。
何か我に有らんや」
意味=黙っていて、心に深く知り、学んであくことがなく、
人を教えて怠らない。そのほかに私に何があろう。
2500年前に書かれた「論語」が読み告がれているのは、
単なる理想論を押し付けてるのではないからだ。
自分の人生体験からくる自分への戒めである。
弟子の願回がなくなったときには「慟して哭する」と大声で泣かれた人情味のある人だ。
たぶん、孔子が問答してるのは人生も円熟(当時の寿命から見て)する54歳を越えてからであろう。
今でも、論語を読んでいると若いころはできなかったでなく、
今もできていないことが多く、反省やら恥ずかしい気持ち屋良である。
論語は読むたびに、勇気付けられ元気が出る。
しかし、学ぶことを如何に現実に落とし込めるかが問われる。
古典に命を吹き込むのは読み手の心の躍動感ではないだろうか?
皆さんはどんな古典を学ばれていますか?